わかさの老活五感日記

難病夫婦の老いに負けない 前向き活動日記です。

万葉集の歌人、柿本人麻呂が大津宮跡を哀れんで詠んだ歌碑から

びわ湖畔に建つ柿本人麻呂の歌碑

大津宮跡やびわ湖周辺には万葉集の代表的な歌人、柿本人麻呂が詠んだ原文や長歌、万葉集の歌碑が5つ建立されています。

びわ湖の辺りで詠んだであろう歌には3つもの歌碑が在り、古都大津宮やびわ湖の旅情を代表する歌になっています。

スポンサーリンク
 

万葉集の代表的な歌人、柿本人麻呂

壬申の乱で大津宮が滅びた後、天武天皇を経て女帝持統天皇が即位しますが、柿本人麻呂は持統天皇の元で宮廷に仕えた万葉集の代表的な歌人なのです。

万葉集には柿本人麻呂の歌が長歌19首、短歌が75首も載せられています。

 

柿本人麻呂の歌碑と歌

びわ湖周辺に柿本人麻呂が詠んだ歌碑が5つ建立されています。

柿本人麻呂の長歌の歌碑

大津宮遺跡に建つ柿本人麻呂の歌碑

大津宮遺跡の地に建つ柿本人麻呂が詠んだ長歌の歌碑です。
短歌が31文字に対し、この長歌は190文字にも及びます。

短歌が五七五七七に対し長歌は五七五七を2回以上繰り返し、最後を五七七で締めくくるため、長い文章をリズミカルに詠む事が4拍子のリズムになり、正に歌を歌っている感じになるのです。

 

玉襷 畝火の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし
神ことごと 樛の木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを
天にみつ 大和を置きて あおによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめ
天離る 夷にはあれど 石走る 淡海の國の
楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の
神の尊の 大宮は 此処と聞けども 大殿は
此処と言えども 春草の 繁り生ひたる 霞立つ 春日の霧れる
ももしきの 大宮処 見れば悲しも
万葉集 巻1-29

 

大津宮遺跡の解説プレート

長歌の解説プレートが添えられています。

畝傍山の、橿原の聖なる神武天皇の御代から、お生まれになった歴代の天皇が、次々にそこで天下を治められたのに、その大和を捨てて、奈良山を越え、どのようにお思いになってか、天智天皇は遠く離れた田舎であるのに、近江の國の楽浪の大津の宮で、天下をお治めになったそうである。
その天皇の神の命の大宮はここだと聞くけれど、大殿はここだと言うけれど、春の草がいっぱい生えている、霧が立って春の日が霞んでる大宮の跡どころを見ると悲しい。

 

壬申の乱(六七二年)により灰燼に帰した近江京の跡を訪ねた柿本人麻呂のよんだ歌。
初代神武天皇以来、都があった大和を離れ、近江の大津に都をおいた天智天皇の都と
宮殿が、今はもう草に埋もれ、霞に覆われて見えないことが悲しまれている。

 

長歌だけに添付するのも大変です。
長歌には反歌と呼ばれる長歌を補ったり発展さす短歌が添えられる場合があります。

 

 

大津の宮を詠った反歌の歌碑

唐崎湖岸緑地公園に建つ柿本人麻呂の歌碑

大津宮遺跡から北へ約2km、湖岸沿いに近江八景「唐崎の松」で有名な唐崎の地区に唐崎湖岸緑地公園が有り、公園内に柿本人麻呂の大津の宮を詠った反歌の歌碑が建立されています。

楽浪の 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 舟待ちかねつ
万葉集 巻1-30

 

唐崎湖岸緑地公園の解説プレート

大津の宮を詠った反歌の解説プレートです。

さざなみの志賀の唐崎は昔と変わらずにあるけれど、
大宮人の遊ぶ船はいくら待っても
もう見ることができません。

 

近江の荒れたる都を過ぎる「時」に添えられた反歌。
柿本人麻呂が、壬申の乱(六七二年)により荒廃した近江京の跡を訪ねた時によんだ歌。
「唐崎」は、その名前「からさき」に「さきく」、つまり幸いであることが込められていたのに儚かったと嘆かれている。

柿本人麻呂が唐崎の地で大津の宮を詠ったのは、天智天皇の側近であった舎人吉年(とねりのきね)が詠った
やすみしし わご大君の 大御船
待ちか恋ふらむ 志賀の唐崎
万葉集 巻2-152 舎人吉年

この一首に基づいて近江の荒都を傷んだ。

 

二首の歌から、大津宮の時代は唐崎周辺のびわ湖で天智天皇や貴族が船を漕ぎ出し優雅に遊んでいた事が伺い知れます。

 

額田王が天智天皇を慕ううたはこちらです。

www.enjoylife2.com

大津宮を偲んだ歌の歌碑

近江神宮境内に建つ柿本人麻呂の歌碑

淡海乃海 夕波千鳥 汝鳴者 情毛思努爾 古所念

歌碑の風化で少し見づらいですが、自然石の風合いに趣が感じられます。

 

同じ原文の歌で見やすい歌碑がびわ湖畔に建立されており、最初の画像の歌碑です。

柿本人麻呂が詠った当時は漢字のみで、理解しづらい所もあります。
後に編集された万葉集では、かな混じりで理解しやすくなっています。

 

大津京シンボル緑地に建つ柿本人麻呂の歌碑

近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ
万葉集 巻3-266 柿本人麻呂

「びわ湖畔で夕波に飛ぶ千鳥を見ながら、お前が鳴くと心も打ち萎れて、大津宮が栄えた頃が思われる」と天智天皇の時代を懐かしんでる事が伺えます。

 

柿本人麻呂が近江の海辺で詠った歴史背景や心情を理解した上で、びわ湖畔の歌碑を詠んでみると、更に柿本人麻呂の想いが分かる気がするのでした。

 

にほんブログ村への応援よろしくお願いします♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村 花・園芸ブログへにほんブログ村 その他生活ブログ 断捨離へ
にほんブログ村

 

最後に

柿本人麻呂は万葉の天才歌人と言われていますが、奈良時代の大伴家持が万葉集の編集に関わり、更に平安時代に平仮名が完成し、万葉集が親しまれる様になった事で柿本人麻呂の歌も分りやすく評価されたのではないでしょうか。

文学や歴史の知識が無い者でさえ、1300年以上経った今、思いを寄せられるのは、原文を平仮名を混じえて詠みやすくした万葉集と眼に触れる事が出来る歌碑が在ればこそと思えるのです。

 

スポンサーリンク